【凧をあげる】愚直さについて。

王道と邪道どっちが好きですか?
って言われたら、私は本来的には邪道が好きなんですね。

なんかシニカルでかっこいい響き。
スカしてるかんじ。笑

私は学生時代あんまりひねくれてなかった(悪くいえば本当の意味で自分の頭で考えてなかった)ので、
先生のいうことは結構素直にきいていました。

いま考えるともうちょっと反抗してもよかった。
一度でもいいから大人と徹底的にやりあってみたかった。

でもできなかった。怖かったから。
大人は多分正しいんだろうなって勝手に思ってたんですね。

その反動でいまこんな感じですが。

それはそれでいいこともあったんですが、
同時に、ちょっと個性的な人に憧れていました。

なんかこう、
自分だけのリズムを持っているひと。
心に、自分だけのメトロノームがあるかんじ。環境にあまり左右されているように見えない。
そういう人いますよね?

で、時は経ち、いま思うのは、

「邪道をやるのは王道をつくしたあと」
「不恰好なやり方に勝るものはない」

ということです。
以下で書きます。

何かのお役に立ててください。

1.飛び級がしたい人

ニュースとか見てると、
ものすごい若さで成功したりとか、
ある日突然ぱっと日の光を浴びた人とかいますよね。

そういうのって芸能関係に多いから、
自分も、、、、、ってなるのが性だと思います。

既存の戦略を無視して、
まったくあたらしい云々で。。。みたいな。

シンデレラストーリーってやつですね。

私もなんだかんだいって、
そういうのを心のどこかで期待していたんだと思います。

いまの映像業界の構造に不満もありますが、
下積みとかはちゃんと時間を設けましたし、
くちゃくちゃになるまでやりました。
その過程で多くの人に迷惑をかけました。

とはいっても、
人間そこまで強くないので、
安易なやり方とか、近道に飛びついたりした。

困っちゃうのは、剛運の持ち主っていつの時代もいるんですよね。
交通事故が起きるみたいに。

ですが、飛び級をしたいと思っているうちって、
まずそういう事態って起きない。

忘れたころに突然やってきます。これは本当。
そういうときに動じないようにしないと、呼吸を乱されます。

彼女ほしー!って言ってるときに彼女できないみたいな。

つまらない話になってしまって申し訳ないのですが、
不恰好でいいから、とにかく愚直にやるって段階からしか、
最初は始まらないんですよね。

奇策とかって、相対的なものだから、
まずはどこまでも当たり前をやるってところをやらないと、ダメ。

そんなの知ってるよ!って言われそうですが、
こういうのって頭でわかっていても、
腹におちるまでに時間がかかるんですよね。

2.凧をあげる

人生とか仕事を船に例える人もいますが、
私は飛行機とか凧(たこ)みたいなものだと思っています。

飛ぶ前にめっちゃ走る。

理屈で言われても動かないなら、動くように自分を洗脳する。

そうしないと風をつかまえられない。

で、

実際なにをやっているのかというと、
ベーシックなスキルをあげることだったり、
ちゃんとメシくってちゃんと寝るとか。
遅刻しないとか。約束まもるとか。

こうやって書くとつまんなくて退屈でめんどくさいことだけ。

でも最初ってそういうもんでしょ?
それに何かの間違いで飛んじゃったら飛んじゃったで、
あんまりいいことない。
天狗になって、いい気になって、暴走するのが普通。

それを幸せってよびますか?

3.最初はとにかくダサい

不思議なんですが、
なにを始めるにしても、最初のときやったことって、
あとで見たらどうしようもなくダサい。

やってるうちにダサいってことがわかるようになる。
だから最初はダサくていいし、
かっこつけてやっても本当にいいことない。

ですので、

飛び級とか邪道は最初は考えないほうがいい!って結論。

伝わるかなあ?

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA