イチローと技術

 私は野球を見る習慣がまったくありません。昔から周りで流行っていたのはサッカーだったし、野球をやっている人間で仲が特別いい友人が少なくて、いたとしてもゲームについてあれこれと語るような経験をしたことがなかった。父親はやたらとゲームをみてキレるし、ビールを飲みながら大人が大人に向かって文句をいうスポーツというイメージが、ついさいきん、三十になるまで頭にしみついていました。

 で、これまたつい最近、イチロー選手が引退しましたね。さすがに私くらい野球に詳しくなくても、落合監督とイチローさん(以下敬称略)は知っている。個々の成績がどうだとかは、特段かたる必要もないことなので、ここでは置いておく。それにしても、イチローが引退会見か、その前後のインタビューで語っていた言葉が非常に印象的でした。『自分は野球の研究家になりたい』それから、『野球というのは本当はとても頭を使うもの』という部分。

 もちろん私は前述のとおり野球通じゃないので、戦術の話はわからないけれど、なんとなくイチローが言っていることを解釈すると、こうだ。パワーや派手なアクションで沸かせるだけが野球じゃない。テクニックや知識、経験や戦略によって相手に克つことができるのが野球の面白さ。これには感銘を受けました。 竹を割ったような派手な勝ち方や、誰が見てもスポットライトを浴びせたくなるようなサクセスストーリーではなく、ある種の狡猾さ、例えば交渉においては事前の根回しや政治など、大人としてどうやって戦略を描くかというのは、場合によっては何よりも重要な考え方になる。(こっちはイチローはやっていなかったかもしれないけど)

 20代のときは、あえて愚直なやり方を選んで、場合によってはちょっと考えられないようなエネルギーの使い方、たとえば徹夜して根性でやりきるとか、無茶をしてでも無理やりゴールさせるとか、そういう底力を試す経験も必要だったように思います。でも、残念ながらそんな簡単にいろいろと話がすすむことばっかりじゃないんですね。

 力と技術と戦略の話は、たとえば、資本力と人材とマーケティングに置き換えられたりするし、作品づくりにおいてはコンセプトの重要性や提案している新しいビジネスモデルや、もっている価値をたった一言で180度かえてしまうとか、資本力に依存しない勝ち方がいまは主流になっている気がします。

 さらに。イチローはその優れた人格、哲学、生き方で世の中に対してイメージを定着させていったこともあり、ここからブランドや人生の生き方など、パーソナリティや芸術性を世に打ち出していくことになるのだろうなと個人的にはおもっています。

(これがサッカーになると、ファンタジスタと呼ばれるような芸術性、アティチュードの話になったり、さらに面白く展開するけど、いまのサッカーはフィジカルが優位になっているような気がして、これまた一部のひとを刺激するので控えます)

 力から技術へ、技術から戦略へ、戦略から芸術性へっていう価値のサイクルっていろんなところでいま起きているような気もしていて、これから人生がどんどん長くなっていくにつれて、すべての仕事において、このサイクルとポジショニングって、重要になるのではないかと考えています。

 イチローは最後の方、なかなかスコアが伸びなくて悩んでいたというニュースもありました。でも、もしかしたら、イチローの一番のすごさって、アメリカのメジャーリーグというパワーが支配する場所において、まったく新しい勝ち方のサイクル、アスリートとしての生き方を提案したことにあるんじゃないか。そんなことを考えました。

 しかし、神宮球場でビールが飲みたい。

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