ユングと闇営業

少し前に、いまは亡き河合隼雄さんの、深層心理学の本を読んだ。箱庭療法の第一人者で、ユング心理学について解説されていた。
 
ユングというのは面白いひとで、西洋的な価値観で体系的にものごとを捉えつつも、東洋的な価値観、すなわちカオスやアナログ、曼荼羅などを積極的に受け入れている。
 
すごくバランスがいい人だったように思えます。
 
いわゆるペルソナやシャドウ、コンプレックスやエゴの話が出てくるのですが、とても興味深いと思ったのは「影の肩代わり」という現象でした。
 
たとえばよくあるケースとして、PTAや教育評論家、あるいはいわゆる世間的に道義性を求められる職業に従事している家庭のお子さんに限って、非行に走るケースが見られると。
 
これが影の肩代わりという現象で、親のあまりに「影のない」生き方を子供が肩代わりするらしい。代わりに自身が影を受け入れ、影の部分を体現する。
いわく、光が強ければ強いほど影が伸びる。
 
もちろんだからといってただちに、「影を受け入れましょう」といわれても何をしていいのだかわからない。
 
ただ、ある集団において、公明正大、品行方正でパーフェクトな光の部分が大きくなると、同時にほかの誰かが影を肩代わりする現象はいたるところで見られるように思われます。
 
私は別にユングの専門家じゃないので深層心理学的にこれをどう解決するかは置いといて、日本の構造もそうだし、会社もそうだし、家庭も、組織も、地域もそんなふうに見てみると、肩代わりがたくさん起きているような気がする。
 
科学的に正しいかとかエビデンスがあるとかではなくて、世の中を切り取るときのフレームワークとして、なにかおかしな現象が起きたときに、構造の話に立ち戻って考えないと、結局はほかの形で影が伸びていく。
 
ある集団のなかで、気に入らない人間や、気に入らない部分を排除したからといってそれで影がなくなり、解決するかといったら、そうではないのだなということを思い知らされてしまいます。
 
オウムの件もそうだし、沖縄、慰安婦、いじめ、闇営業、政治家の不祥事。
 
世界をどの枠組みでみるかによって、影の対応関係がわかると、本質により近づけるように思えました。
 
社会が光を要請すればするほど、影は居場所を失って、別のところに入り込んでいく。それがアンダーグラウンドであるうちは、まだ蓋をすることができた。あいつらは自分たちとは違うんだ、云々。
 
でもこれからは、光も闇もすべてが世の中で可視化されていく。
 
強い光はけっして正義ではなく、ときには暴力にもなるのだと思い知らされる。そんなお話でした。
 
サロンやコミュニティ運営が流行っていますが、もちろん活動を加速させる定量的なサロンもとっても需要があると思う。
 
だけど、少し前までは弱い力だと思われていた、居場所をつくるだとか、逃げ道を用意するとか、そういうことによって新しい社会の創り方がこれからは求められるのかな。
 
そういう活動の役割が、もっと広く理解されていくとよくなるなと思いました。

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