一週間にいちどくらいは、自分の時間をとって思考を整理する習慣をつけています。

商売をしていると、とかく我々のような生き方をしている人たちにとって時間は何よりも貴重なものですが、週に一日だけは自宅のパソコンの前で制作の仕事をするようにしています。

そうしないと、いつまでたっても何かが形にならない。
企画やアイデア自体は、人と話しているときや、会話のなか、環境の変化によって思いつくことがほとんどですが、こういうアイデアを熟成して完成させるには、どうやらひとりになってから、外部の情報を遮断して、ちいさな世界に閉じこもることが必要みたいです。

そういうとき、仕事の合間に本を読みます。ビジネス書も嫌いではないですが、さいきんは昔のように小説を読むようにしています。

仕事をする上ではスキルや能力もとても重要ですが、もっと大切な部分に価値観や考え方があります。

すなわち人との向き合い方、ものの見方、世の中との関わり方、など。

こういうものについて書かれたビジネス本ももちろんありますが、あまりにも論理的で、無駄な情報が排除されていて、想像するきっかけがほとんど残っていない情報というのは、なぜだかわからないけどあまり深く人の心に影響を与えません。不思議。

最近飲んだある短編小説で、その内容は省略しますが、たぶん大まかに言ってこういうことを言っているのかな?という内容がありました。

読みたい人は言ってください。

「人は、傷つくべきときに、ちゃんと傷つかないと、あとで大きなしっぺ返しがくる」

人間は痛みとか悲しみに耐える力はあると僕は思いますが、ふたんの人との関係性の中で、傷ついたところを吐露するような空間はあんまりないような気がします。

傷つくのはみんな怖いし、傷ついてるところを見せるのも怖いと思います。し、じっさいに傷と向き合わなかったことに対して我々がどんな報いを受けるのか、その因果関係を証明することはできません。

ですが、この短編に書いてあった一文、

「僕は、傷つくべきときにちゃんと傷つかなかったんだ」

という言葉に強く関心を持ちました。

弱さや傷を隠すことが美徳とされる、ある社会があったとして、それを失敗したとか、後ろ向きな出来事と捉えることが慢性化している人たちがいると思います。

そういうときに、例えば我々が傷ついたのなら、ちゃんと傷ついたことを許容して、向き合ってあげることが大切なのかもしれません。

こういうところからコンセプトが生まれたりします。
なんだか気恥ずかしい文章になってしまいましたが。

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