個性の時代っていう言葉は、僕がまだ中学生のときくらいから言われていることで、
当時の体育の先生が熱弁していたのをいまでも覚えている。
その多くは否定的な意見だったが、僕らはというとあんまり意味を理解できていなかった。

いまとなってはウェブから発信される内容は個に特化したものが多くなっていき、
個の時代というキーワードに疑いを持つものは誰もいなくなった。

しかし、個性という意味での「個」と、組織論のなかでいう「個」はちょっと意味が違う。

どう違うかっていうと、
組織にとらわれずに自由に生きられる=誰を気にかけるでもなく生きられる
っていうのは大きな間違いで、
個性に特化すればするほど他人との関係性が重要になってきます。

これは経営者やフリーランス、個人事業主として活動している人はよくわかると思う。

いま、多くのひとが言っている個性の時代というのは、
「ピラミッド型の集団構造が、水平的な集団構造へと変容している」
ということではないでしょうか。

かつてはたった一人のカリスマ的な指導者やタレントによって保たれていた秩序が、
部分であった個性によって保たれようとしている。

そういうときって、
「よし、もう誰にも束縛されずに自由にできるぞ」
って意味に捉えられがちだけど、本当はそうじゃない。

当たり前だけど、生きているからには誰かとつながっていないと豊かさは手に入られらない。
ほんとうに一人で生きていけるひとはいないから、そのためにウェブがあったりする。

そういう意味では、どこまでいっても人間は世界のなかでは歯車でしかない。
でしかないんだけど、歯車に個性が認められるようになった、と理解している。

個性的な活動もたくさん許されるようになったし、
僕もけっこう好きなようにやっている。我慢していることはほぼない。
でも、僕が個性的な歯車でいられるのは周りの環境のおかげだともいつも思うようにしている。

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