自意識の揺れ

かなり前に、村上龍さんがラジオで、うろ覚えですが、村上春樹との違いを語っていて、だいたいこんな感じだったと記憶しています。(僕としては二人とも、タイプとしては真逆ですが、大好きな作家さんです)
 
「村上春樹さんと自分はまったく違うタイプの作家である。
 
春樹さんは自意識の揺れを描いている、自分とは何なのかとか、あの過去の出来事は何だったのかとか。
 
それはそれでとても大切なことなんだけど、それよりも自分はそういう悩みを吹き飛ばしてくれるようなものを描いている。
 
戦争とかすごい音楽とか経済がどうしたとか、そういうことを描いている。
 
あんまりいいたとえじゃないけど、中央線で、くらい顔をして佇んでいるおじさんがいるとする。
 
いま、日本は自殺率が非常に高いけど、なんでそのおじさんがくらい顔をして佇んでいるかっていうときに、それが意識の揺れなのか、早期退職なのかはわからないけど、僕としてはたぶん、彼は解雇されたから自殺するんだと思っている。そういう側面を担っていると思っている」

みたいなことを語っていて。
 
この言葉がずっと気になっていて、あるときから僕にとってもテーマになっていました。
 

この関係って、日本人が抱えるソフトとハードの関係に対応していると思います。
 
自意識の揺れ、存在についての不確かさはソフトの問題を、
解雇されたり経済状況の変化によって受け取る弊害はハードの問題を代替しているのだと思います。
 
ハードとソフトが分離されていくと、機能と意味も分離していく。
 
さらにこれが人間というリソース、資源のなかで分離していくということは、機能の喪失と意味の喪失という文脈に置き換えられると思っています。

日本人はハードの問題ばかりに目がいきがち(目に見える価値)だけど、ソフトの価値は目にみえないからあまり関心を払われることもない。
 
機能の喪失はちょっと別の問題なので、置いておいて、意味の喪失っていうことでいうと、人間の存在っていうのは周りとの関係性によって決まっていくので、自意識が確かになるためには、逆説的ですが周囲とのつながりが深まることが必要だと思っています。
 
たとえば社会とどうつながるか? 何に価値をおくか? 何をもって自分のコミュニティとするか? 価値観をどのカルチャーから受け継ぐか? 哲学の探求や芸術への理解など。
 
こういうことが不確かになっていくと、いわゆる自意識というものが揺れ始めて、一体じぶんは社会においてどんな存在なのか? というふうにソフト面が崩壊するんじゃないかな? と思っています。
 
するととたんにハード面だけの競争に巻き込まれていく。グローバル市場で1位以外のサービスやプロダクトはすべて淘汰される。個性は資産として活かされない。
 
そして、個別の人生においても存在が不確かになり、つながりも失っていく。
 
こういうスパイラルに社会全体が陥ってるのではないかと最近強く思います。
 
だから、確かに経済的に豊かになることもすごく大事だし、スキルやノウハウや経験を培っていくこともすごく大事なんだけど、
 
そもそも他人や社会、文化に対する興味関心を養っていくことって実はすごく大事だと思っていて。
 
なぜかというと、じぶんの存在が不確かにならないように、じぶんという存在を見失わないように、それ自体は役にはたたないし機能ではないんだけど、アイデンティティをきちんと打ち立てるためには、教養を深めたり、自分以外のものへと関心を抱いていくことはもっとも大事な作業だと思っています。
 
このベースがないことには、地に足をつけて立っていることはできないし、電車のなかでくらく佇む理由になってしまう。
 
これは個人だけでなく、社会や地域も同じで、ムラ社会的にひととのつながりが大事というよりは、
 
自分以外へのものにたいする興味関心、コミットメントを深めることで、実は自分という存在がたしかになるという構造を、もっと積極的に活用していくことで、もう少しいまの時代がいきやすくなるのかな、なんてことを考えました。

ソフトの価値がもっと有効利用される時代になるといいな。

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