週末は、また祖母の様子を見に実家へ。
 
なんだか顔を出したときはいまにも、という感じでしたが、容態があがったりさがったりしているようでした。
 
祖母を見ている横で、私は物語と居場所について考えていました。
 
商売柄、物語を展開することを生業にしているので、
ひごろから、【なぜ人は物語を求めるのか?】みたいなお話にとても関心があります。
 
会社や家族の在り方が変わっていくなかで、
所属するコミュニティの話も、共有するストーリーも複数あり、また仕事も複数、そんな生き方がメジャーになってきて、みんながもっている物語も居場所もたくさん増えている気がしています。
 
それとは逆に、物語を失ってしまったひとたち、そして、居場所を失ってしまったひとたち(正確には失っていないのだけど、めじるしと道筋が見えなくなってしまって、迷子になってしまった人たち)の話も聞く機会がたまにあります。
 
なにかのトラブルで思い描いていた物語が破綻してしまった、集団のなかで孤立して居場所がなくなってしまった、などなど。
 
資産も仕事も組織も肩書きも、複数のチャンネルで管理していくなか、単一の絶対的な物語と居場所は存在しないし、たとえ破綻してしまったとしても次の物語と居場所を生み出していけばいいと個人的には思います。
 
でも、他人から与えられた物語を受け入れる力は日本人は強く持っていますが、自分で物語を生み出す力はあまり得意ではないようです。(だからこそ私みたいな人間に機会があります)

そして、ある人はそれをポジショニングといっていましたが、物語のなかで自分がどういうキャラクターとして登場するか?どうやってお芝居の表に立つか?ということが居場所づくりにあたると思います。
 
これもただ単にへこへこして他人に協調していればいいわけではなく、自分の立ち位置を主張してポジション=居場所を獲得していかなくてはいけないので(かつ、周囲から孤立して舞台から退場させられないようにしなくてはいけない)、こっちはこっちでカロリーを使うなあと思います。
 
物語も居場所も、ある物語が破綻したからといってさじを投げてしまうよりは、複数の物語(信じているものがまったく矛盾していたとしても)のなかで、役割のちがった自分で居場所をいくつか持っていくことで、ちょっとだけ息苦しさがなくなるんじゃないかなあ、なんてことを思いました。
 
どんな映画も、必ずヒーローはいちど挫折する。場合によっては何回も挫折する。失敗も物語に組み込んで、居場所をもっと作れたらなあ、といつも思います。
 
ブランドプロデュースって本当はそういうことなのかもしれない。
 
寒くなってきましたが、みなさま体調にはお気をつけください。

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