SHAREの日本語訳は??

シェアの時代って言われて久しいです。
たしか僕が20代の前半くらいのときくらいに言われはじめて、
ここまで続いている。
 
いまではfacebookなどのソーシャルメディア、それからウェブ空間における閉鎖的なエリアが解放されて、
ほぼすべての情報の壁が外れました。
 
クリック(いまはタップ)ひとつで、情報をシェアできる。
じっさいには、クリックというのはウェブ空間におけるアクションの主要部分なので、
クリックすること=行動基準
といっても差し支えないかと思います。
 
シェアという言葉を調べてみると、こんな説明が出てきます。
 
(一人の人が持つ)分け前、取り分、(一人の人が持つ費用・仕事・責任などの)出し分
割り当て、負担、(一人の人が持つ)役割、参加、貢献、株、株券
 
最初のほうの意味はけっこう知っている人がいると思うのですが、
後半については「ん?」となる人も多いんじゃないかと。
 
一人だけが持っている情報を、全体に広める、という意味から転じて、
「貢献、参加」という言葉が派生しています。
 
共同体を形成するときの基本的な考えとして、
この貢献、参加っていう意味についてはあまり意識していない人が多い気がします。
 
自立した個人が集まって、それぞれの役割を全うするというのは、
耳で聞くと当たり前のことなのですが、
以外とこれができそうでできません。
 
価値観が古いと特に、
 
「ピラミッド型のヒエラルキーをどう形成するか?」
「いかにして自分が独占的な立ち位置を確保するか?」
「どうやったら他人を管理・支配できるか?」

 
に考えがいきがちです。
(もちろん、まだ自立していない方を、自立に導くというフェーズにおいては、ある種の管理体制が必要だとは思います)
 
情報やリソース(ヒト、モノ、カネ)を共有して、SHAREし、
集合知的なモノゴトを受け取りたいと思ったら、
まずは自分のリソースをSHARE=参加・貢献しないことにはどうにもなりません。
 
あるひとにとってはそれが実務的な部分かもしれないし、
あるひとにとっては影響力、
またあるひとにとっては価値観や哲学の場合もあります。
 
いずれにせよ、
共通の目的(=理念やセカイに対するテーゼ)を共有したあとは、
それぞれが持っているものを持ち寄って、情報水準をあげることこそが、SHAREの本質
なのかなと。
 
これからコミュニティ、共同体を生み出していきたいとか、
いままさに参加している、主催している方々はそんな価値観で人と関わると、
イイコトあるかもよ。
 
8/29に食の哲学教室っていうイベントをやります。
興味ある方はぜひ。
 

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